ルソン島南部、ピナツボ山麓の地

1991年のピナツボ山噴火は、山容を大きく変化させ、実に山の上三分の一が吹き飛んだと言います。
火山灰と、土砂は大量の土石流となり、渓谷を埋め尽くしました。
写真は、その土石流によって作られた「砂漠」を流れる川です。
この川で砂鉄が取れるため、大きな磁石を使って砂鉄を収集することを目的に、この地に人々がやってきます。

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土石流の堆積の上を流れる川。手前右の袋は、収集された砂鉄。

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大きな磁石を水中につけて、砂鉄を回収する様子

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「砂漠」から突き出て見える緑地が、かつての渓谷の山頂です。左右の尾根を延長した、おおよそ30m程の渓谷が大量の土石流によって埋まってしまっています。土石流の下には、かつての街が沈んだままになっています。

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ピナツボ噴火以前から、この地を生活の中心にしていたのは、アエタと呼ばれる山岳少数民族でした。彼らはフィリピンに最も古くから住んでいる先住民族の末裔と考えられ、昔、彼らの祖先は平地に入植してきた民族との争いを避けて、山奥に入っていった、とされています。このピナツボの噴火がなかったなら、彼らの存在すら、表に出てこなかった、かも知れない、とも指摘されています。
噴火の際に、土地に殉じた人々と、平地に避難した人々がいたそうですが、平地に避難した人々は、かつての伝統的な生活を維持することができず、生活の変化に体調を崩したこともあったようです。

冨田さんのフィリピンの生活は、この、ピナツボ噴火によって生じた「砂漠」の緑化から始まり、アエタの人々との生活から始まったのだそうです。

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