birth education

冨田さんのブログの、ずいぶん古い文章を引っ張ってきました。
「自分で生まない産婦」
というエントリです。2006年12月、ブログを開設されて間もないころの文章ですが、今でも考えさせられる文章です。

http://blogs.yahoo.co.jp/barnabaseriko/497294.html

 

朝から陣痛でクリニックで過ごしていた20歳の2人目の産婦。

夕方から陣痛が強くなり、7時過ぎに赤ちゃんが見え始めた。

陣痛に関係なく気張り続ける産婦を諭しながら、見守っていた。
頭が大きく見えて、もう1歩というところで産婦は気張るのをやめた。

産婦が私たちにつぶやいた。「あとは引っ張ってくれるんでしょ?」

赤ちゃんの頭は母親の足の間にじっと動かずにいる。
産婦の気が明らかに抜けてしまい、陣痛も遠のいてしまった。

やっと次の陣痛が来た。産婦を盛り立てて気張るように言う。
しかし、産婦の力は抜けている。

でっかい頭が出て、肩が出ない。
横に向かせて、必死で気張らせる。

4年ぶりぐらいで、私が取り上げた・・と思わざる得ない、お産になった。

冷や汗が出たお産になった。
「どうしてひっぱてくれなかったの?」

1人目のお産が病院で押されて生まれたのだという。だから、引っ張って押して貰うものと信じきっていた。怖いお産になった。

 

お産は自分でする、という、生き物が生き物である根本の部分を、私たちは充分に伝えてくる事が出来なかったのかもしれません。
主体性を喪った産婦のお産ほど、怖いものは無い、ようにも思いますが、振り返って日本のお産はいったいどうでしょうか?

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