フィリピンの貧困における子供の状態から親子関係のありかたを考えました。

 

 

フィリピンに生きる子供たちから、親子の関係性について、教わりました。

色々な子供たちが、現地で生活しています。日本のような皆保険制度があるわけではありませんので、医療に手が届くためにはそれなりの経済力が必要になります。

貧困にあれば、子供達の病気は、そのままになります。何もできないことを「お金が無いから」と済ませてしまう…そのような中で、医療が届かないながらも、子供たちの状態はそれぞれでした。

画像

ひとりは、口唇口蓋裂を持った子でした。
軽症の(つまり裂が狭い)ばあいは、直接母乳を繰り返しているうちに、上手に飲めるようになることが多いそうですが、この子の場合は、裂が割と大きかったようで、ミルクと一緒に空気を呑みます。空気が入ると、どうしてもおおきなげっぷをして、それとともに大量にミルクを吐いてしまいます。どうしても栄養が足りなくなりがちなので、冨田さんのクリニックから、ミルクの支援が入っています。

画像
もうひとり…と言いながら、ここは二人なのですが。
たらいに入った子たちの写真です。二人とも、栄養状態がやや悪いくらいで、大きな病気はありません。が、この子たちは、おばあさんにしがみついていて、引き離して抱っこすると、大泣きをします。
おばあさんは、割と喜んで子供を他人にもだっこさせるのですが…。

画像

 

そして三人目。
「天使のような」パトリック君。彼には、安定してケアしてくれる人がいません。道行く人、誰にでも、最高の笑顔を見せます。
実は、高度な先天性心疾患で、血中酸素飽和度は80%を切っている状態なのです。まるで、頭から金魚鉢をかぶっているような息苦しさが常態となっているのですが、そのようなしんどさは見せません。

フィリピンを訪問して、この三組の親子は、あるエリアの徒歩圏内にいました。
そのエリアは、基本的には貧困の人々が集まっている所でしたが、その中でも親子(直接の親子である必要はありません。子供の面倒を丁寧に見てくれる親代わりの存在を、とりあえず「親」と書いています)の関係性の差として見ることが出来ると強く感じました。

ひとり目は、とても安定した関係。子供には多少の健康問題がありますから、いずれはなんとかしてゆきたいですが、丁寧にケアされていて、落ち着いています。だから、抱っこされても泣きわめかないで、ニコニコしていました。そういう意味ではあまり心配の無い子です。どこかで口唇口蓋裂の修正の手術が受けられたら…という子です。
二人目は、「頼れる親代わりがひとりしかいないけれども、そこにしがみついていないと忘れられてしまう」という緊張が続いている関係性です。親は働きに出ているので、通常は祖母にあたる方が面倒をみているのですが、子供が静かにしていると、忘れられてしまう、という不安が常に付きまとっている状態です。なので、引き離されると、大泣きします。
三人目は、「頼れる親代わりが居ない」という緊張の中に生きている子です。
ここの親も働きに出ていますので、平日は居ません。しかも、普段の面倒を見ている方は、お母さんと血縁の無い「おばあちゃん」です。
そうすると、ともかく、出会った人との瞬間瞬間に、その出会った人からケアを引き出さねばなりません。なので、常に笑顔なのです。だれが抱っこしても、ニコニコしています。
この子は、ともかく身体がしんどい状態だと想像されるのですが、そのしんどさを表に出して来たら、生きてゆくことができない、という厳しさの中に生きているのだ、と感じるような状態でした。

親子関係の、両極が、見た目は同じように見える。他人に笑顔ができる状態、他人に笑顔を向ける状態というのは、実は二種類あるのだ、ということに、頭を殴られたような衝撃を受けたのでした。

今年の冨田さんの講演会では、そうしたことについてもお話して頂こうと考えています。